アイドル音楽もそんなに悪くないよ、という話

正直に申し上げると、今までアイドルソングをバカにしていました。

昔からアーティストって、とにかく純粋でなければならないという強い思い込みがあったんです。作曲、作詞なんかはアーティスト自身が自分の内面から発せられたパッションで作られて然るべきであり、そのアーティストが歌うジャンルも一つのものに専念しているべきであると。技巧的にも思想的にも純粋でなければならない。

色々なジャンルを取り込むようなグチャ混ぜの音楽は汚れた俗物であり邪道であり、音楽的に劣っているものだと。同じ理由でミクスチャーも嫌いでした。

 

考えが変わったきっかけはアイドルマスターというゲームでした。

アイドルマスターって、ほんとに節操なくいろんなジャンルを取り入れているんです。そしてその曲をつくる作曲者もいっぱいいて、作詞者もいっぱいいて、演奏者もいっぱいいて、歌う声優もいっぱいいる。ポップスからメタルから演歌からテクノから、なんでも取り入れ、あまつさえ1つの曲の中でもジャンル関係なく曲調が変わっていく。それまでの考えからしたらそんな俗物を好んで聴くなんて信じられなかったんですが、ゲームの特性上否が応にも曲を聞く必要があり、自分の好きなキャラクターが歌を歌うのでそんなに嫌悪感なく聴いていられたんです。

 

で、アイドルゲームというものを経由したおかげでようやく分かったんですが、アイドルって音楽を道具として使っているんです。成り立たせる大切な要素の一つではあるけれど、あくまで音楽は道具に過ぎない。

音楽という原石を磨いた上に出来上がるダイヤモンドがどれだけ純粋かに価値を見出すのではなく、ダイヤモンドを使ってどれだけアクセサリーの魅力が際立つかに価値を見出す。そのためにはジャンルにこだわらず、作詞や演奏者にもこだわらずなんでもする。そういうものなんだ、そもそも土俵が違ったんだ。と。

 

その性質の濃さはアーティストによってまちまちだけど、たぶんこれって昭和の歌謡曲の系譜なんですよね。作詞先生がいて、作曲先生がいて、バックメンバーもかわる。でもそれはすべては歌手の魅力を最大限に引き出すため。そう考えると文化的にも日本人のDNAに染み付いているものであり、受け入れられるのもごく自然なことなんです。

 

ということで、今ではようやくアイドルソングを違和感なく楽しめるようになりました。とはいえ、今までの考えが間違っていたとも思ってはいないんです。要は考え方、思想の違いですから。例えるなら純粋な学問としての物理学の魅力と、その物理学を応用したMacbookの魅力を比較するようなもので、そんなのには何の意味もない。

両方に価値があるし両方楽しめばそれでいい。そういうことです。